携帯電話の電源を切ってしまったことがそもそもの間違いだった。僕はその日から誰と

 もつながれなくなった。どこに行っても、どこにも行かなくても、僕以外誰もいなくなっ

 た。一直線の公道をうろつく猫の姿も見えない。

    帰ってきたばかりなのにも関わらず、学校に戻る。まだ部活が始まったばかりの時間帯

 なのに、現実だと思えないほど静かだった。

    薄暗い橙のなかで職員室のある窓が白く明かりをつけていたのを見つけて、僕は一縷

 の望みをかけて階段を駆け上がった。でも、というかやっぱり、誰もいなかった。蛍光灯は

 燦々として、いるはずの人達を照らそうとしていた。パソコンの何台かは点けっ放しで、

 スクリーンセーバーが起動していてwindowsのマークが蛇のように蠢いていた。人だけ

 が、忽然と姿を消していた。

    僕は仕方なく家に帰った。家に帰るのも怖かった。案の定誰もいなかった。でもダイニ

 ングには夕飯の準備ができていて、ちゃんと僕を含めて家族全員の分が揃っていた。ごは

 んと味噌汁、それから簡単な惣菜が薄く湯気を上らせていた。それは、僕の家族、それか

 らこの街に住んでいたいなくなった人達への弔いのようだった。僕は一口も箸をつけない

 まま、寝ることにした。全てが夢のようで、悲しい寂しいは腹のなかで留まったままで頭

 を揺さぶるまでには至っていなかった。僕は目薬を何滴も差して、号泣する真似をした。

    次の日、僕はいつも通り学校に行った。夢であればよかったけど、遅刻を免れない時間

 になっても弟は二階から降りてこないし、芸能ニュースを食い入るように見る姉の姿もな

 かった。朝ごはんは用意してあった。二度も見過ごすことは出来なくて、自分の分だけよ

 く噛んで食べた。目玉焼きの白身のところを噛み切るたび、自分が少しずつ死んでいくよ

 うだった。残り一口のところで塩をふりかけて食べた。

    登校しても、教室へ行っても、やっぱり誰もいなかった。ただ、一時限目の授業の板書

 が既にしてあった。一時限が終わるたびに廊下へ出て、一息ついてから教室へ戻るともう

 次の授業の板書がされているのだった。僕だけが時間という枠から弾き出されてしまった

 ようだった。僕は黒板に書かれたものをノートに丁寧に写した。

    そしていつも通り、昼休みを告げるチャイムが鳴る。しんとなっていた校舎がざわめき

 始めるのを期待したけれど、クラスの奴等が意味もなく僕をからかうためだったでもいい

 からと、それでも変わらず静かなままだった。僕は少しも声を発さなかった。



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