ワンピースの黄色が、だんだん淡くなっているのに気がついた。夜のなかで、蛍のよう

 にほのかに映える。靴も脱いだらいいのに、と言ったけど、彼女は呆けた顔でもったいぶ

 ったあとに、いや、を、短く口にした。




    僕は願う。どうか、どうかと。

    君は笑う。僕が寂しくならないように。




    もう少ししたらね、月が綺麗に見えるよ、と彼女は言う。たしか今日は新月のはずで、

 そして星がぱらぱらと散らばっているのがはっきりしているから、つまり本当に真っ暗な

 わけで、でも彼女が毅然と言うから、嘘なのか本当なのかわからなくなった。

    ワンピースと一緒にほの白くなる耳をさわりながら、彼女は真っ直ぐに歩いていく。僕

 は、どちらでもいいのだ、と形にして呟いて、小さな身体をじっと見つめた。僕も無意識

 のうちに歩き出していた。




    僕は目を瞑って歩く。

    君は光を纏って歩く。




    くくく、と悪戯でもしているのか、唸るようにして笑っている。なに、と短く尋ねると、

 なにも、と短く返された。ふむ、とため息混じりに呟くと、ふむ、と笑い混じりに真似ら

 れた。靴の先が足下で散らかっている落ち葉を引っ掛ける。

    もう少し、もう少し、と彼女の呟きが移り変わる。僕はそれを尋ねることも、真似るこ

 とも、拒むこともしなかった。彼女の呟きが降り積もっていき、僕が落ち葉を蹴る音が蓋

 をする。

    二つのかさかさとした音が、気ままに合唱する。




    僕は口も閉ざす。

    君は口を転がす。




    湿った土の匂いが鼻の奥を強く突いた。ああ、ここは、と思っていると、彼女はぴった

 りと立ち止まった。ぶつかりそうになりながら、目を開いた。

    いつ森に入ったのかわからなかったけど、足下がだんだん柔らかくなったから、たぶん

 そうなんだろうな、と思った。柊が何十本と立ち並んで、アーチのようになっている。僕

 たちの頭の上だけぽっかりと空いていて、見晴らしはよくないけど、月見をするには十分

 だ。

    ぼんやりとしていた僕の後ろに回り、彼女はその柔らかな両手で目を隠した。ひんやり

 としている。まだ目をつぶってるんだよ、まだ目をつぶってるんだよ、彼女は歌うように

 念を押して離れた。どうにも腑に落ちなかったけど、言うとおりにまた目を閉じた。彼女

 は僕のそばにいるんだろうか。

    目を閉じると、聴覚が研ぎ澄まされて、いろんなものを拾おうとする。鈴虫の鳴き声、

 梟の説教、なにか僕の知らない鳥が歌う声。彼女と共に耳を澄ませている。それがわかっ

 たのは、彼女の髪の毛が靡く音がわずかに聞こえるから。




    僕は君をたどる。

    君は僕を真似る。




    月を見つけたよ、と言う彼女に、許しも得ずに目を開いた。

    真っ直ぐに空を見上げることは容易かった。ひんやりとした空気は、上に行けば行くほ

 ど澄んでいる。でも、そこに僕が思い描く月はなかった。 

    ない、と僕がぼやくと、あれだよ、あれ、と彼女は背伸びをしながら指差した。目を凝

 らして見ると、暗闇のなかでぼんやりとした円が弱々しく点滅しているのに気がついた。

 それも綺麗に弧を描いているのではなく、ところどころが途切れている、継ぎ接ぎの円だ。

 月じゃないばかりではなく、形も不完全だ。

    ちがうよ、と僕は言う。ううん、これだよ、と彼女は平坦に言う。ちがう、全然ちがう、

 僕はむきになった。君はこれが月だって言うのか、これが、こんなものが。僕は口の端に

 つばが溜まるくらいわめいた。わいわい、わいわい、わいわい、僕が疲れるまで続けるの

 を、彼女はただじっと見ていた。彼女の目に映る僕が、虚ろに目を俯かせようとしている。

    彼女は失望していなかった。困ってもいなかった。でも、そのままじっとしている彼女

 でもない。

    ううん、やっぱりもう少し待った方がよかった、と彼女は自分にしかわからないような

 ことを呟くと、僕は急に無茶苦茶に頭を掻き毟りたくなった。彼女の言葉に苛立ったんじゃ

 なく、本当に頭が痒くなったからだ。彼女のことを気にせずがしがしやっていると、毛先か

 ら耳の裏側から虱が何匹も跳びだしてきた。ひっと僕は声を上げた。ふっと彼女は吹き出し

 た。

    痒みが止まったわけじゃなかったけど、その光景がひどく間抜けで、僕は膝を落とした。

 僕が間抜けだ。

    まあまあ、と彼女は僕の唇に人さし指を押し当てた。自分がやったくせに。

  それから、僕に目を閉じるように言いもせずに、身を翻した。




    僕の愚痴。

    君の仕草。



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